世界が涙した渋谷の「ハチ公」とは?

2019-05-20 その他
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渋谷駅前にある「ハチ公」という名の銅像を知っていますか?有名なスクランブル交差点に近く、多くの人が渋谷で待ち合わせに利用するスポットです。

モデルとなった犬「ハチ」には悲しい物語があり、1997年に公開された映画「ハチ公物語」で日本中に知れ渡りました。2009年には、リチャード・ギア主演「HACHI」でリメイクされ、世界的にも有名になりました。

ハチの生立ち

1923年11月10秋田県北秋田郡二井田村(現・大館市)の斉藤家で産まれました。ちょうどその頃、東京帝国大学農学部の上野教授が秋田犬を飼いたがっていたため、ハチは、はるばる秋田から東京まで届けられます。ハチの値段は30円(当時)だったといいます。

こうしてハチは、現在の東京都渋谷区松濤一丁目付近にあった上野の住まいで、ジョンとエスといった他の犬とともに暮らすことになりました。

上野との突然の別れ

ハチは玄関先まで上野を見送ったり、渋谷駅まで送り迎えをしたりすることがあったといいます。

ハチは大変かわいがられていましたが、上野家に来て1年と少し経ったころ、上野が急死してしまいます。ハチは通夜の日も渋谷駅へ上野を迎えに行きました。上野が帰宅しなくなってから数日は食事もとらなかったといいます。

上野を想う日々

上野が亡くなった後は、親戚の呉服屋や浅草の知人宅に預けられますが、結局上野の妻のもとに戻されます。しかし渋谷に戻ったハチは近所とトラブルを起こし、現在の東京都渋谷区富ヶ谷の小林家に預けられます。その頃になると、上野が亡くなって2年が経っていたにも関わらず、上野の帰宅時間に渋谷駅まで行くようになったといいます。

ハチの銅像ができるまで

渋谷駅で上野を待ち続けるハチは、通行人に虐待を受けていました。しかし、ハチのことを知った日本犬保存会初代会長・斎藤が、ハチのことを東京朝日新聞へ寄稿します。すると多くの人から「ハチ公」と呼ばれ、可愛がられるようになりました。ハチの話に感動した彫塑家・安藤はハチの銅像を作りたいと熱望し、1934年にハチの銅像ができました。

届かなかったハチの想い

銅像が出来あがった翌年、渋谷川に架かる稲荷橋付近、滝沢酒店北側路地の入口で、ハチが死んでいるのを発見されます。そこは渋谷駅の反対側で、普段はハチが行かない場所だったといいます。もしかしたら死期を悟っていたのかもしれません。

死後、行われた司法解剖によるとハチには大量のフィラリアが寄生していて、心臓や肺に癌があることが発見されました。胃の中からは焼き鳥のものと思われる串が3~4本見つかったそうです。ハチは病に侵されながらも、上野の帰りを待ち続けていたのでしょう。

戦争によって消えたハチ公像

日中戦争・太平洋戦争により金属不足に陥ったため、1941年の金属類回収令により、ハチ公像も回収対象になってしまいます。そこで日本犬保存会初代会長・斎藤は抗議活動を起こし、戦争が終わるまで別所にて保管すると約束をとりつけます。しかし約束は果たされず、ハチ公像は溶解され、機関車の部品となってしまったのです。

ハチ公像を再建へ

戦終、ハチ公像の再建を望む声がたくさん寄せられました。そして、米・連合国軍司令部(GHQ)の後押しを受け、1948年に再建されます。2代目ハチ公像は、初代ハチ公像をつくった彫塑家・安藤の子息、士氏によって作り直されました。

切なくも美しいハチ公の物語

いつまでも飼い主を待ち続けたハチの気持ちを考えると切ないですね。きっと今は天国で大好きな上野とともに過ごしていることでしょう。渋谷を訪れる際には、そんな切なくも美しい物語を秘めたハチ公像に会いに行ってみてくださいね。


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